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すべては人から学べ!情熱の放熱 blog(人物伝)

人は人から学ぶことがほとんど。そんな人物に焦点を当てて、よりよい生活・成功を手にするためにの人物伝ブログです。
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人道の勇者”杉原千畝”氏を讃える。
 私が杉原千畝氏のことを知ったのは、反町隆史氏主演のドラマを
通してでした。

 『六千人の命のビザ』というタイトルのこのドラマは、

 ”歴史に埋もれた一人の勇者の物語”

 そういう言葉がしっくり来るような、そしてドラマを観た後に、
ネットでも調べては涙なしでは語れない杉原氏の勇気ある行動に
最大の賛辞を贈りたい気持ちで一杯になりました。

 そしてブログでも投稿しようと決めたのです。

 時は1940年7月、第2次世界大戦の最中に、リトアニアにて
日本領事代理をしていた外交官:杉原は領事館から外を見ると多くの
ユダヤ人が叫んでいるのを目にします。

 ナチスの迫害を逃れるために第三国である国へ逃亡するための通過
ビザ発給を求めてやってきたユダヤの人々でした。

 詳しくは省略しますが、ナチスドイツの侵攻によるユダヤ人大量
虐殺を逃れるためにはどうしてもソ連、日本を通過するしか手立てが
なかったのです。

 しかしドイツと日本は同盟関係にあり、ユダヤ人にビザを発給する
ことに関する日本の外務省の返答は”ノー”でした。

 そんな状況の中、杉原千畝氏は決断したのです。

 『私の一存で彼らを救おう!』と・・・。

 杉原氏一人の戦いが始まりました。

 来る日も来る日もビザを書き続け、腕が腫れ上がっても、
万年筆が折れるような数を書き続けても、彼は書くことを止め
なかったのです。

 『一人でも多くの命を救いたい・・』

 それが杉原氏の切なる想いでした。

 彼自身も危険に冒されていたにも関わらず・・・

 ついには日本から国外退去命令が下り(無許可でビザ発給したため)
列車でその国を去るときでも彼は駅のホームで、列車の窓越しで、
彼らのビザを発給し続けたといいます。

 当時の時代背景を考慮したらどんなにか大変だったであろうことは、
私たちでも少しですが想像出来ますよね・・・

 ”命のビザ”

 65年経った今でも杉原千畝氏は”勇気ある人道に生きた日本人”
としてリトアニアの人々に多大なる尊敬を集めているという。

 戦争はこのような偉大なる日本人さえも風化してしまうほどの
残酷さを秘めております。

 平和の名のもとに、私たちは何を思い考えてゆかねばならぬかを、
彼の行動に導かれたことでしょう。

▼参考資料▼
八百津町ホームページ

▼関連文献▼
新版 六千人の命のビザ

杉原千畝物語―命のビザをありがとう

決断・命のビザ

六千人の命のビザ―ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った

杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか


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